「決して孤独にならない」   08.07.20
                   ヨハネ10:22〜42

 そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。
冬であった。イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を
歩いておられた。すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで
言った。 「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。
もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」
 イエスは答えられた。
「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが
父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。
しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからで
ある。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを
知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を
与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から
奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、
すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことは
できない。」

 教会に集う私たちは、主イエスに「わたしの羊だ」と言って
いただくような存在です。しかし主の周りには。「わたしの
羊ではない」と言われる人たちがいました。自分の思って
いるメシヤかどうかはっきりせよと、詰め寄る人たちがいました。
その人たちのうちにあるのは、謙遜に、身を低くして主イエスに
問いかける心ではありませんでした。自分の思いに従わせようと
する心でした。
 主イエスの羊は、毛並みが良いとか性格が良いとかが
問題とされるのではありません。主エスに聞く羊であるかが
問題なのです。
 礼拝や祈りをしながら、心を開いて聞こうとする者に、主は
「わたしの羊」とおっしゃってくださいます。
 たとえ小さく力なく見栄えが良くなくても、主は、「誰も
この羊をわたしの手から奪うことはできない」と。
 力強くはっきり語ってくださいます。
 私たちはこの御言葉に包み込まれています。